竹田城(たけだじょう)は、兵庫県朝来市和田山町竹田にあった中世山城。 東に立雲峡を望む標高353.7mの古城山(虎臥山)の山頂に築かれ、縄張りは、南北約400m、東西約100m。天守台をほぼ中央に配置し、本丸、二の丸、三の丸、南二の丸が連郭式に配され、北千畳部と南千畳を双翼とし、天守台北西部に花屋敷と称する一郭がある。廃城から約400年を経ているが、石垣がほぼそのままの状態で残っており、現存する山城として全国屈指の規模となっている。 |
撮影 | 2008.07.16 |
竹田城の歴史は、但馬守護・山名持豊(宗全)の支城として、太田垣光継に構築を命じ、1443年(嘉吉3)、土塁を巡らせた城を完成させ、太田垣光景に守らせた。 1600年(慶長5)、赤松広秀は“関が原の役”では西軍に加担して、家康に同行して出陣中の細川忠興に代わり父・幽斎の守る丹後田辺城攻めに加わる。
|