薬師寺は、天武天皇9年(680)に天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を祈願して建立が発願されたものであります。 その後、造営の功徳あつてか皇后の病は癒えたが、天武天皇は落慶を待たずに崩御された。持統天皇が事業を引き継ぎ、伽藍の完成をみたのは天武、持統の孫の代、文武天皇2年(698)であつた。 薬師寺造営には造薬師寺司という役所も設けられ、国家的事業として行われた。創建時の伽藍は藤原京(現橿原市)に造られたが、その後平城遷都(710)に伴って現在地に移転した。 当時は南都七大寺の一つとして、その大伽藍はわが国随一の壮美をほこりました。すなわち金堂を中心に東西両塔、講堂、回廊が立ち並び、なかでも裳階(もこし)を施した金堂のたたずまいの美しさは、「竜宮造り」と呼ばれて人々の目を奪いました。移転に際しては塔堂を移築したかについては論争があるが、旧伽藍の規模、形式がほぼ再現されたらしいことがわかつています。 しかし、平安時代以降は、しばしば火災に遭い、特に享禄元年(1528)の兵火では東塔(国宝・白鳳時代)を除く諸堂が灰燼に帰しました。 昭和42年、「高田好胤(たかだこういん)管主」により薬師寺白鳳伽藍の復興が発願されました。失われた堂塔の復興を薬師寺の大悲願として、お写経勧進によって、金堂、西塔、中門、回廊、更には平成15年3月に大講堂が復興され、白鳳伽藍の輪奐美(りんかんび)として甦りました。 薬師寺パンフレットを参照 |
所在地 | 奈良市西ノ京町 |
開基 | 天武天皇 |
宋派 | 法相宋大本山 |
本尊 | 薬師三尊 |
撮影 | 2008.02.10 |