月山富田城をゆく
 花 ノ 壇
 大手道と搦手道との間、山中御殿平の正面、一段下に位置する。かつて、多くの花が植えられていたことからこの名がついたといわれる。北の端に主屋と侍所が復元されている。後ろの山が月山で本丸があります。
 
 発掘調査をもとに復元された花ノ壇の主屋と侍所
花の壇南の端の石垣 
 花ノ壇の堀切
通路跡の発掘状況
 山中御殿北西側の石垣。かつて石垣上には多聞櫓が建っていた。
 多門櫓跡
山中御殿平の大手門跡  
幅約15m、高さ約4.5mの大手門跡の石垣
 石垣の上には監視する櫓があったのではないかと思います
 北側にある菅谷口門跡。尼子氏時代はこの菅谷口が大手道であったと言われる。
 菅谷口を登り口から眺める 
 山中御殿南の入口で、尼子氏時代の搦手口である塩谷口門跡。非常に狭い入口となっているのが特徴的。
 

塩谷口の周囲には迫力ある高石垣が存在する。永禄七年(1564年)の合戦の際に、尼子倫久・山中鹿介らが守って吉川元春・熊谷信直らの寄せ手と戦った場所である。 

 
 大手門跡付近から山中御殿平と主郭部のある月山を見る
上御殿平跡 
 
下御殿平跡 
山中御殿平の遠景
 
山中御殿菅谷口の手前にある雑用井戸跡
 
 山中御殿平の東側にある狭間塀跡
 大手門の手前にある軍用大井戸
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 撮影  2009.03.18