撮影  2009.03.18
月山富田城をゆく
七曲りの登り口
 山中御殿平から詰の曲輪のある山頂部へ続く道かなり急峻で、現在は石畳となっている。登城したときは雪の重みか?竹がかなり倒れていた。
七曲りを登り始めるとすぐにある親子観音 
 堀尾忠氏急逝後の慶長12(1607)年に富田城内で起きた跡目を巡る争い(お家騒動)の堀尾河内守(吉晴の娘・勝山の夫)とその一子・掃部を供養して祀った宝篋印塔です
七曲りの途中にある山吹井戸  
 山中御殿平からの登り道は七曲りの他に、「月山軍用道」があり、これらの二本の道は途中で合流します
七曲を登りつめると三の丸に出る
 三の丸へ登り口と石垣、土塁
袖ヶ平からみた三の丸西側の石垣  
 三の丸の石垣
三の丸跡  
 三の丸を進むと二の丸跡に出る
二の丸の石垣 
 二の丸への虎口
 本丸(手前側)
 本丸にある山中鹿介幸盛の記念碑
本   丸 跡 
 大国主命を祀る勝日高守神社は、尼子氏時代、城内の守り神であったこの神社は築城以前から所在したと伝えられる。
ここが197mの月山頂上付近となる。
本丸から眺めた二の丸の全景
 ここは水や食糧を蓄えていた曲輪と考えられていて、双児井戸跡が残る。現在は休憩用の建物建てられている。
二の丸から眺めた北方角にには島根半島、中海が遠望できるが、。黄砂で霞んであまり見えないのが残念。
 月山から下山しお子守口から東に行くと「赤門」があり、楽寿観音霊場巌倉寺へと続く。
 月山の南側を流れる飯梨川(富田川)iT架かる富田橋から眺める月山の遠望
  飯梨川(富田川)
飯梨川(富田川)の三日月公園内の「尼子経久の銅像
 飯梨川(富田川)から眺めた山並み
 左の「京羅木山」は月山を見下ろす展望の良い山で、1543年(天文12)大内義隆が5万の大軍を率いて、月山富田城に攻めて来た時、本陣を構えたところ。
右の「勝山」は、1565年〜1566年(永禄8年〜9年)毛利元就が月山富田城を攻めてきた折、星上山に本陣を置き、布陣したと言われる山で、人ますや槍みぞ等古城に今尚当時の陣取りがしのばれます。
 富田城の復元図
復元模型  
 
 堤に咲く桜(まだ5分咲き程度でしたが、地元の方にお尋ねしたら1週間ほど早いそうです。 
  「蛍の宿」の発祥の地でもあります。
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