北の郭跡(きたのくるわあと) |
本丸から北の郭に架かる鷹丘橋 |
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武徳殿(休憩所) |
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北の郭広場 |
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籾蔵跡(もみくらあと) |
ここには、4代藩主信政(のぶまさ)の生母である久祥院の屋形がありましたが、1704年(宝永元年)以降は宝蔵や籾蔵が建てられ、廃藩の頃には籾蔵が建ち並んでいました。 |
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子の櫓跡(ねのやぐらあと) |
北の郭北東隅の土塁の上には、藩政時代を通して三層の櫓がありました。櫓の中には、武具の他に藩庁日記なども保管されていました。子の櫓は廃藩以降もその姿を留めていましたが、1906年(明治39)に花火のため焼失してしまいました。
平成13年の詰屈調査により、正方形に並ぶ櫓の礎石と石段が確認され、櫓の礎石には、石切の際の矢穴や柱を据えた凹(くぼ)みのあるものがあり、中央には束石があります。櫓の規模は4間×4間(約8m四方)であり、二の丸に現存する三棟の櫓と同規模となります。
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北の郭から内濠と天守を望む(正面の赤い橋は下乗橋) |
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