慶長10年(1605年)金森長近によって築かれた。慶長5年(1600年)関ヶ原合戦で東軍に属して郡上八幡城などを攻めた功により、飛騨高山城主金森長近は河内国金田と美濃国上有知(こうずち)、関に2万3千石を加封された。長近は飛騨高山は養子の金森可重(ありしげ)に譲り、自身は小倉山城に築城して別家を興した。、別名「小倉居館」ともいわれる。
慶長12年(1607年)長近が没すると、、可重が家督を相続すると長近の実子・五郎八長光に上有知等2万石が分知され上有知藩が成立した。
二男の金森長光が継いだが慶長16年10月(1611年)わずか6歳にて没して無嗣改易となり、上有知藩はわずか二代で廃藩となった。その後は天領になり、元和元年(1615年)からは尾張藩領となって代官所が置かれていた。。
 小倉山公園の駐車場に行くと、目前に石垣が築造されており、角に2層の隅櫓が建っている。
模擬櫓の横に登城道があり、本丸へと続く
 本丸跡から隅櫓を眺める
 本丸から天守への大手道
 天守の途中に見られる堀切跡
 休憩所
 小倉山山頂に建てられた模擬天守(展望台)
 
展望台から東方面の遠望(眼下には長良川が流れている) 
 展望台から西方面の遠望
 展望台直下の長良川の川原には川遊びに来た車が沢山停まっていた。
 美濃市街の遠望
模造天守の近くにロケット形をした忠魂碑がありました。
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美濃小倉城をゆく
撮影   2010.08.19