お城名 |
写真 |
内容 |
築城者 |
住所 |
登城日 |
藤橋城 |
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南北朝時代、南朝側の新田義貞が、北朝側の土岐氏に対抗し築城したとされる。資料によっては築城時期が1400年頃となっているが、1400年頃は新田義貞はもう生存しておらず、南北朝時代も終わっている為、矛盾がある。この付近には多数の山城があり、南朝勢力側の砦があったのは事実である。廃城時期は不明。 |
新田義貞? |
岐阜県揖斐郡揖斐川町鶴見 |
平成22年7月19日 |
美濃小倉山城 |
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慶長10年(1605年)飛騨国高山藩主であった金森長近は、養子の可重に高山城を譲り隠居した。この城は長近の隠居城として築城された城である。別名「小倉居館」とも言われる。 |
金森長近 |
美濃市泉町小倉山 |
平成22年7月18日 |
苗木城 |
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恵那郡福岡町の広恵寺城に拠っていた一雲入道が高森山頂に苗木城を築いて移り、左近佐直廉を称したのが始まりとされている。
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遠山直廉
(とおやまなおかど) |
岐阜県中津川市苗木
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平成22年7月18日 |
五稜郭
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函館(はこだて)市五稜郭町に現存するわが国最大・最初の西洋式稜堡(りょうほ)式城跡。正式名は亀田(かめだ)役所土塁というが、V字形の堡頭(ほとう)をもった五稜星形築城なので五稜郭と通称されている。 |
江戸幕府 |
北海道函館市五稜郭町44 |
平成22年4月28日 |
松前城 |
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松前城の前身は江戸初期の福山館で、江戸幕府はロシアの南下に備え、蝦夷地防衛の為に松前崇廣に松前城築城を命じ築城しました。。 |
松前崇広
(たかひろ)
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北海道松前郡松前町松城
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平成22年4月29日 |
弘前城 |
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弘前城は、津軽を統一した藩祖津軽為信が計画し二代目信枚が慶長十六年(1611年)に築城したのがはじまり。以来、明治四年(1871年)の廃藩置県に至るまでの260年間、津軽氏代々の居城となった津軽藩のお膝元である。 |
津軽為信・信枚 |
青森県弘前市下白銀町 |
平成22年4月28日 |