1563年(永禄6)織田信長は小牧山に築城し、清須から居城を移しました。小牧山が城として利用されるのはこのときが始めてです。 南に大手口を設け、大手道は直線的に中腹まで登り、右に折れて屈曲しながら山頂に至ります。小牧山の南の原野には、東西1km・南北1.4kmの範囲に城下町が整備されました。 小牧山城に移った信長は、犬山方面を支配下に置き尾張を統一するとともに、積極的に美濃攻略を行いました。4年後の永禄10年には、美濃稲葉山城を攻略して、岐阜と名を改め居城を移しました。これにより小牧山は廃城となり、城下町は一部を残して衰えました。 1584年(天正12)、小牧長久手の合戦が起こると、徳川家康と織田信長の軍勢は、信長の城跡に城址跡に大規模な改修を行い、堅固な陣しろを築きました。山麓を取り巻く二重の土塁や堀、虎口などは、このとき築かれたものです。 小牧付近では大規模な合戦は起こらず、戦いの収束に伴い小牧山は再び廃城となりました。現在、小牧山に残る城の遺構はこの時の小牧山の城の姿です。 江戸時代には尾張藩、明治時代には尾張徳川家の手厚い保護を受け、山中の堀や土塁などの残存状況は良好で、日本の城郭史上、貴重な資料となっています。 1927年(昭和2)の国の史跡指定を契機として、昭和6年には徳川家から小牧町(当時)へ寄贈され現在に至っています。 小牧市歴史館パンフレットから |
撮影 | 2011.03.11 |