大手道
  市役所の西側に山頂へ登る大手道の看板があります。大手道から登る場合は車は市役所に駐車しておくと便利。北側の搦手側には専用の駐車場があります。  
 大手道はほぼ一直線の階段で出来ており、山頂へと続くきます。
 暫く登ると左側に小牧山稲荷大明神があります。
稲荷神社で直進すると大手道、左へ曲がると西自然遊歩道となっています。今回は左へ曲がり平坦な自然道を行きました。  
 観音洞
 遊歩道を進むと公園に出ますが、ここは「観音洞」と言われている色場です。
1942年(明応年間)の頃乳の出ない妻に食わせようと、子はらみ鹿を撃ちに小牧山に登った鹿の狩人が七匹の小鹿を連れた子はらみ鹿を見つけて撃つと、小鹿は七つの石に、母親は観音像と化した。狩人はこれを見て殺生を悔い、その地に草庵を結び観音像をねんごろに祭った。後に観音を祭る草庵には間々に乳観音として移転したが、草庵の跡地は観音洞と呼び親しまれ現在に至っている。
観音洞の前に山頂へと続く階段があり、遊歩道からはずれ更に登っていくことにした。
 山頂へと続く道には所々に土塁跡や曲輪あとらしいものが散見される。
 中腹辺りに平地があり、現在は.「さくらの園」となっており、4月ともなればソメイヨシノの桜が美しく咲くと思われます。
 山頂付近では、近年発掘調査が行われており、調査結果の看板がありました。
小牧市教委は2011年2月28日、国史跡の小牧山城(同市堀の内)で、山頂の周囲に巡らせてある織田信長が築いた石垣に、築城当時としては大規模、先進的な技術が施されていたことが確認できたと発表した。天守閣と石垣を特徴とする近世城郭のルーツはこれまで、同じ信長が築いた安土城(滋賀県近江八幡市)にあるとされてきたが、さらに13年さかのぼって小牧山城に原型があることが明らかとなった。  
市教委によると、確認された石垣は長さ35メートルの上下2段で、高さは上段が2・5〜3・8メートル、下段は1〜1・5メートルだったと推測。特に上段を構成していた石垣は重さ2トン前後の巨大な自然石が整然と積み上げられ、「土が主体だった当時の城にはない技術が具体化され、これを原型にして『石の要塞(ようさい)』のような今日の城が全国に広まっていったと考えられる」と小野友記子考古学専門員(38)は話す。  
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小牧山城をゆく
撮影  2011.03.11