安慶名に在する国指定の史跡である。城の北側を流れる天願川が別名「大川」と呼ぶことから、別名大川グスクとも称される。
伝承では14世紀頃安慶名大川按司の築城と云われている。自然の断崖と急傾斜を巧みに利用した山城である。
城の形態は、外側と内側に二重の石垣を巡らす県内では珍しい輪郭式のグスクである。安慶名城跡の築城時期については、本格的な発掘調査を行っていないので詳細は不明だが、県内におけるグスクの発掘調査をした例を見ると12世紀後半から13世紀初頭にかけてグスク時代の開始が認められているため、安慶名城跡も、その頃で、15世紀頃に現在の石垣が造られたのではないかと思われる。
安慶名城跡の第3代目のころになると、中山王は尚真王の時代で、各地の按司を首里に集め中央集権国家を造ろうとしていたが、安慶名按司の勢力は具志川、あるいは中部一帯に広がっており、首里に呼び寄せようとしても聞き入れなかった。それで、仕方なく中山軍は安慶名城を攻めることにしたが、勢力のある安慶名城であるため、なかなか落城させることが難しかった。そこで、調べてみるとこの城には水がないことがわかったので水攻めにすることにした。しかし、安慶名城も考えたもので、米でウマを浴びせて見せ、遠くから見ると水浴びをさせているように見せていた。中山軍はあきらめたが、結局水がないことがわかって安慶名城は落城する結果となった。
                                     
うるま市観光協会から
安慶名城をゆく
(あげなグスク)
安慶名城の前は中央公園として整備されている(沖縄感緋桜が満開でした)

中央公園から見た安慶名城左上の尖った岩が石門あたりになる

登城口にある安慶名城址碑銘

城門に続く急な石階段

途中岩をくり抜いてありかなり険しい登り道である。(正面に休憩用の椅子がある)
休憩用の椅子から下を眺める
二の郭への城門(城内側) 石灰岩の自然石を巧みにくり抜いて築いた石門
石門を裏から眺める
石段を登り上がった所にある城門 ( 表門)
城門の入口(切石が整然と積上げられている)
城壁の石垣
主郭西側の石塁
主郭西側の石塁

頂上部の内郭広場 ( 主郭 )

自然石で積上げられた石垣
二の郭東側下部の外郭の城壁
二の郭にある安慶名宇志仁大主の碑
主郭最高所にある具志久美登繁座那志の碑
城壁の石垣にある無数の穴(風化による穴か?戦争による砲弾の跡か?)
主郭最高所からの遠望(米軍の住宅)
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