赤穂城をゆく
本丸の面積は約15,114uあり、内部には天守台・御殿・及び番所・倉庫等の付属建物・池泉等があつた。
本丸の表門となる本丸門は、一の門である櫓門と二の丸である高麗門及び枡形から構成されている。
門は廃城後取壊されたが、1992年〜1996年(平成4〜8)にかけて復元された。
本丸門
本丸門から見た堀と石垣(東側)
本丸門から見た堀と石垣(西側)
櫓門
高麗門
本丸内部からみた本丸門全景
厩口(うまやくちもん)
本丸内部から見た厩口門
刎橋門跡(はねばしもんあと)
内からみた大手門
二の丸門跡
清水門跡と赤穂市立歴史博物館
「川口門」とも呼ばれた清水門は、刃傷事件後の赤穂城明渡の際、大石内蔵助良雄最後に城と惜別した舞台として知られるもんである。
門外には熊見川沿いに米蔵・薬煙場・番所などがあり、米蔵の一部は1986年(昭和61)に発掘調査された。
現在この米蔵のあつた場所には外観を米蔵にちなんで白壁の土蔵風に建てられた赤穂市立歴史博物館が建っている。1991年(平成3)には門前面の橋台石垣の発掘地様さと復元整備が行われた。
塩屋門跡
塩屋門赤穂城の搦手となる門である。口幅2間2歩、高さ2間半、建坪5坪で門を入ると正面に番所、その裏には長さ13間2尺、高さ2間半、幅2間半の石垣で取り囲まれた内枡形をなしていた。この枡形内には太鼓櫓があり、塩屋門の外に展開する侍屋敷に向け合図を発したという。門の向きは南寄りの西向きで、足軽2人。下番2人、3道具(突棒・刺股・袖搦)1組が配置されていた。
枡形石垣は現在も残り、枡形内部の雁木坂や枡形外面の複雑な折れなど特徴のある構造を今でも見ることが出来る。
尚、塩屋門1701年(元禄14年)3月19日、浅野内匠頭長矩(ながのり)の刃傷・切腹を知らせる第一(早水藤左衛門・萱野三平)第二(原 惣右衛門・大石瀬左衛門)の早駕籠がくぐった門として、また4月19日城明渡の際に備中足守藩主木下肥後守の軍勢が入城した門として知られる。

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