安谷屋城をゆく
(あたにやグスク)

安谷屋グスクのある若松公園入り口

中城若松按司の立像 (組踊りの服装)
宿の女の立像
グスクへ跡への道

グスクの入り口

若松按司の墓の下に残る石垣

石垣の跡
グスクの先端

グスクと反対側にある若松按司の墓横にある墓碑

中城若松の墓
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中城若松(別名安谷屋の若松)は、この地に生育し、長じて首里に召され、真和志間切上間村の地頭職に就き、章氏の始祖となり、没後この地に移葬されたと伝えられる。この若松公園内に、若松の墓、若松の母と夫人の墓があり、生誕屋敷にあったヒーヌカン(火の神)が残存する。若松は、「おもろさうし」にも謡われ、幼少時におもろ歌唱の名人、あかのこと出会い、心根のやさしい少年として称えられている。玉城朝薫の組踊「執心鐘入」は、中城若松にかかわる故事を踏まえて創作されたといわれる。中城若松やかりの地に、若松公園の開設を記念し、組踊の容姿端麗な中城若松と艶麗な宿の女の像を建立する。

                      1991年3月吉日       公園入口の若松銅像の看板から