千早城をゆく

上赤坂城と共に楠木正成が鎌倉幕府軍と戦うために築いた城。1333年から始まった幕府による本格的な攻撃で、まず上赤坂城が落城した。その後正成はこの千早城に籠城し、各地の豪族が蜂起するのをひたすら待ち続けた。現在、千早城本丸のあった跡地には千早神社があり、正成を祀っている。この千早城の名物として忘れてはならないのが約560段にも及ぶ長い階段である。当時はかなり険しい山道だった。大勢の幕府軍に囲まれて100日間も籠城を続けることが出来た理由も納得できる。この階段を上りきった場所からは、天気がよいと関西国際空港を遠く眺めることもできる。千早とは「強い風が吹く場所」という意味です。
古文書に登場する千早城は、千剣破城・千葉屋城・茅破屋城・茅葉屋城とも書かれています。『楠木合戦注文』では楠木爪城金剛山千早城とあります。名前はいろいろな漢字が使用されてますが、書かれた当時は読みが似ていればよかったので、いろいろな漢字が使われました。

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