知念城をゆく
(ちねんグスク)
知念城城址碑(到着した時は既に6時30分を過ぎ、また雨の中で暗くてあまり城址の様子が分からなかった)
ノロ屋敷跡ノロとは、琉球王府時代に村落の祭事を司り、宗教的に管理支配した女性神役のこと 
正門の城壁
正門(訪問時修復工事中でした)
修復中の石垣
修復中の石垣(築城当時の黒ずんだ石垣の上に新たに積上げられた石垣)
裏門の城壁
裏門
修復中の裏門
拝所
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字知念の西方150メートルの丘陵にあって、野面積の石垣で囲まれた古城と、その下に切石積になった新しい城の両方からなっている。
古城は「知念もりぐすく、神降り始めのぐすく、アマミキヨが、のだて始めのぐすく」(おもろそうし)と謡われているように、天孫子の代に築いたものと伝えられている。
新城は、第二尚氏三代目王尚真の異母兄弟である内間大親(うちまうふや)によって築かれた。
東に正門、北に裏門のアーチ型の城門がある。中国との貿易の盛んだった時代、知念按司の居城であり、神域のグスクでもある。このグスクは「球陽」(尚敬王17年)の記録によると、17世紀末に改築され、後に知念番所(役場)として、明治40年までつかわれていた。


                                
沖縄県教育委員会説明看板から