知念城をゆく (ちねんグスク) |
字知念の西方150メートルの丘陵にあって、野面積の石垣で囲まれた古城と、その下に切石積になった新しい城の両方からなっている。 古城は「知念もりぐすく、神降り始めのぐすく、アマミキヨが、のだて始めのぐすく」(おもろそうし)と謡われているように、天孫子の代に築いたものと伝えられている。 新城は、第二尚氏三代目王尚真の異母兄弟である内間大親(うちまうふや)によって築かれた。 東に正門、北に裏門のアーチ型の城門がある。中国との貿易の盛んだった時代、知念按司の居城であり、神域のグスクでもある。このグスクは「球陽」(尚敬王17年)の記録によると、17世紀末に改築され、後に知念番所(役場)として、明治40年までつかわれていた。 沖縄県教育委員会説明看板から |