藤原京跡のコスモス
撮影 2006.10.16
藤原京は694年(持統天皇の8年)から710年(和銅3年)まで、、持統・文武・元明天皇三代にわたる都でした。
藤原京はその中心部にあり、現在の皇居と国会議事堂及び霞ヶ関の官庁街とを一ヶ所に集めたようなところであった。
大きさは約900m四方、まわりを大垣(高い塀)と濠で囲み、各面に3ヶ所ずつ門が開きます。中には天皇が住む内裏、政治や儀式を行う大極殿と朝堂院、そして役所の建物などが建ち並んでいました。
重要な政治や儀式の際に天皇の出御する建物が大極殿です。藤原宮で最大の建物であり、正面9間(45m)・側面4間(20m)、基壇を含めた高さは25mをこえる。これは現代の8階建てビルと同じくらいです。礎石の上に赤く塗った柱を使い、屋根は瓦葺という中国風の建物で、これは宮殿としては日本最古のもの。現在は基壇の跡だけが残り、「大宮土壇」と呼ばれます。1935年、日本古文化研究所が発掘調査し、藤原宮解明の発端となりました。
藤原宮の配置図

太極殿跡

藤原宮跡から天香具山を望む
コスモス畑と天香具山
コスモス畑と畝傍山
ススキと天香具山