元冶元年(1864)(幕末)の兵火で焼失しましたが、一人の有志の熱意が実を結び,昭和27年に再興された鉾です。装飾品は日本画家の三輪晁勢、工芸染織家の山鹿清華、皆川月華、皆川泰蔵、金工芸の小林尚など昭和の匠たちの協力を得てすべて新調されました。その後も年を追うごとに装飾の数が増え、その充実の素晴らしさで「昭和新鉾」の壮麗さを誇っています。
町内の金剛能楽堂内に古くからあった『菊水井』にちなんで名付けられ、鉾頭には金色の菊花を付けている。 稚児人形は菊水の井戸にちなみ菊の露を飲んで長寿を保ったという謡曲『枕慈童』(観世流や梅若流では『菊慈童』と称し、百年後の後日物語ともいうべき『枕慈童』がある)の能装束の舞姿である。 鉾の特徴である唐破風屋根は、綾傘鉾が江戸末に小型の鉾になった時、三十年間用いただけで他に例はない。この屋根形は平安時代に日本で生まれたが、異国風なので唐破風の名が付いた。