具志川城をゆく
(ぐしかわグスク)
具志川グスクは、同一名の三グスクの中のひとつで、この他にも糸満市と久米島にある。
 この具志川グスクは、安慶名城主の安慶名大川按司が二男の天願按司をこの地に派遣して築かせたと言われているが、二代目安慶名城主が三男に具志川グスク城主に封じたとも伝わっているが、どちらにしても安慶名大川按司の子から三代にわたる居城であったとされる。
 このグスクは、金武湾に面した標高20mの石灰岩上に築かれた独立したグスクである。
近くの住民の方にお聞きしたところグスク内は、これといった城壁や石垣は残っていないとのことでした。入口の看板付近は雑草で一面被い尽くされておりとても登城出きる状態でなく、やむなく諦めた。
入口の左側に整備された道があり、それを辿っていくと「集団自決の地」の碑があり、その近くには自決した洞穴と、砲弾と跡と思われる痕跡があつた。
具志川城の入口表示
金武湾に突出たグスク跡(小高い山全体がグスクであつた)
集団自決の碑
1945年4月4日、宇具志川の若い男女23名が郷土を守るため、ここ具志川城址の壕に立てこもっていた。昼前、米軍が壕に近づいてきたので、危険を手榴弾を投げつけた。米軍は、機関銃や火炎放射器で応戦、凄まじい攻撃にもはや逃ぬものと観念した男女は、手榴弾での死を決意した。壕の中で二つ輪になって座り、「海ゆかば」を歌い「自爆」を合図に手榴弾を発火して自決を敢行、13名が死亡した。沖縄戦集結50周年の節目に当たり、この地に眠る若者たちの霊を慰め、かつ、恒久の平和を祈念してこれを建立する。

                             1995年11月吉日   具志川市
砲弾の跡?火炎放射器で焼かれた岩?
集団自決をした洞穴
具志川城の麓で栽培されていた「電照菊」
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