具志頭城をゆく
(ぐしちゃんグスク)
具志頭城址は公園とて整備されている。
公園の中には慰霊碑が建っている。
公園から海岸を眺める。
公園に入口に「甲斐の塔」(山梨県)「土佐の塔」(高知県)の慰霊碑の案内版があった(激戦で亡くなった方の名前が多数刻まれていた)
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具志頭城は、14世紀の中期頃に英組王統第二代大成王の大三子具志頭按司が築城したものものと伝えられ、以来、代々の具志頭按司の居城であった。その規模は、およそ25、700uもおり、沖縄の古城跡の中でも大きい方で、自然の断崖の上に構えられた山城形式にして、連郭式の城である。
この具志頭城北方すぐ近くにはこの城の出城としてのミドリ城がある。ミドリ城は、玉城城などの城主からの攻撃に対しての見張り所であったと伝えられている。
南側には、高ヤックワと呼ばれる見張りヤグラの石垣遺構がある。高ヤックワは、南山城や多々名城などに対する備えとしての見張台であったと言われている。代々の具志頭按司は、盛んに外貿易を行った。その貿易港は、城下を流れている白水川の下流に広がる内海であったと伝えられている。

                                      具志頭村教育委員会の説明看板から