石舞台古墳
(いしぶたいこふん)
撮影 2007.04.05
石舞台古墳は、封土(もりつち)の上部がなくなり、玄室部の天井石と側壁の上方が露出していて、天井石が平たいので、古くから石舞台古墳の名で親しまれている。
古墳は、昭和8年、10年に京都大学と奈良県が共同で発掘調査を行った。
玄室の長さは、約7.6m、幅約3.5m、羨道の長さは約11.5m、幅約2.2mで玄室底部から羨道中央部を南に通る排水溝がある。
現在、封土基部は方形で、外斜面に自然石の貼石がある。一辺の長さは約55メートル、その外方の隍(からぼり)の幅は隍底で約6ないし7.6mで、北方の幅は約6.5mである。その外側に上幅約5mの外堤があり、内外斜面にも下方部と同じし貼石をする。封土は、方形・上円下方形とも考えられているが、現在なおはつきりしないが、巨大な石材を架構した雄大さは、日本古墳の中でも群を抜いた後期古墳である。                    
                                              
     説明看板から
玄室内正面の石組み
天井の石組み
石舞台古墳の復元石棺
この石舞台古墳は、昭和8年の発掘調査で30数個の大きな石で築造された大規模な古墳で、6世紀末期から7世紀初頭のものであることがわかりました。
被葬者は、古代この地で最大の勢力を誇っていた大豪族の蘇我馬子の桃原墓であるとの説が最も有力視されています。
発掘調査では石棺はは発見出来ませんでしたが、石質からは平に加工した凝灰岩の破片が見つかり、発掘調査の成果と、飛鳥時代の古墳に施されている石棺の資料を基にして石舞台古墳の石棺を復元たものです。
                                                              説明看板から
キクモモの花
明日香村の菜の花畑