伊予松山城をゆく
揚木戸門跡(あげきどもん)
慶長年間の松山城創建のはじめはここに門があり、西の大手万とともに大手のの入口の重要な拠点となつていた。
大手門跡
慶長年間、松山城創建とともに築城され、山麓の二の丸および堀の内(三の丸)へ通じる重要な構えの門であつた。
戸無門(となしもん)
この門は建築様式から見ると高麗門であるが、昔から戸がないので戸無門といわれていた。この門と筒井門、隠門とに仕切られた所は二の丸・三の丸から本丸へ、また東郭から通ずる本丸大手の正門の固めであって、城中で最も重要かつ堅固な所であった。
昭和10年に国宝に指定されたが、法の改正により重要文化財となった。昭和年代では、12年・25年・46年・および59年・60年に修理された。、
筒井門
本丸大手の正面の固めを構成した門である。慶長年間築城の際に正木城(伊予郡松前町)から移されたと伝えられ、脇戸附の櫓門である。昭和10年国宝に指定されたが、昭和24年2月に焼失した。昭和42年から3年に石垣の修理を行い、昭和46年3月に櫓を古い資料に基づいて復元した。
戸無門(左)(左の門)筒井門(右)(右の門)
隠門(かくれもん)
この門は筒井門が移建されたのち建築されたもので、戸無門から筒井門に迫る敵の側背を不意急襲する構えとなっている。この門と同続櫓は筒井門の脇門であり、規模が小さいけれども木割大きく豪放な構えは築城当時の面影を見ることが出来る。また外部下見板張りや、窓が格子窓で突揚げ板戸となっていることなど古い城郭建築の様子を伝えている。(重要文化財)
井戸
南北2つの峰を埋立てて本丸の敷地を作った際、この地にあった泉を井戸として残したといい伝えられている。井戸の直径2m、深さ44.2mで城郭の飲料水として使用された。上屋は昭和20年7月に戦災で焼失したので昭和27年3月に再建されたものである。
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