出石城をゆく
野図(のづら)積みの石垣
城域は、東西400m、南北350m。
段状の曲輪い゛構成され、標高46mの最高部に稲荷台を置き、その下に本丸・二の丸の曲輪・二の丸下の曲輪を連ねて、二の丸の東に山里曲輪、西には西の曲輪が配置された。
それぞれの曲輪は往時の建物を失っているが、野面積みの石垣が旧曲輪跡にいまも残る。
感応殿
本丸跡に建つ、唐破風のある社殿。
藩主仙石氏の祖である権兵衛秀久を祀る。秀久は豊臣秀吉に仕え、小田原攻めの功から信濃小諸城主にもなった。

感応殿は、明治期に旧家臣が秀久の遺業を偲んで造営された。
町の人々は、この社殿を「権兵衛(ごんべいさん)の愛称でよんでいる。
辰鼓楼(しんころう)
  
出石町のシンボル。
1871年(明治4)、旧三の丸大手門跡の櫓で1時間ごとに刻を告げた。
1881年(明治14)、直径1、8mのオランダ製の大時計が寄贈され、時計台となる。現時計は3代目のもの。
稲荷神社への参道
37基の鳥居をくぐり抜けた先、稲荷台にある稲荷神社は、城主の小出吉英(よしふさ)が城内鎮護を祈願し、旧領和泉の稲荷を勧請した。
当初、稲荷台には天守の建築が計画されていたといわれている。

撮影当日は台風23号によって参道には無数の岩と石が散乱してた。
出石の街並み
桂小五郎潜居跡の碑
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