中世婦人列(鎌倉・室町時代)
大原女
洛北大原の婦人は古来、薪、炭等を頭にのせ、京の町へ売りに出る風習があった。これは室町末期の大原女姿で、『七十一番歌合』その他の史料を考証した服装である。
桂女
洛西桂には古来桂包(かつらづつみ)という婦人の髪を包む風習があった。この姿で街へ鮎や飴売りに出たり、その旧家には巫女を業として婚礼、出産に呪文を唱えに行った。これを桂女と称した。これは室町頃の小袖に桂包した姿である。
淀君
豊太閤の側室で浅井長政の娘。豊公の寵愛をあつめ、秀頼公の生母である。本列は桃山時代を代表する豪華な打掛に間衣、下着、小袖に刺繍の帯をしめ、扇を持った外出姿である。
藤原為家の室
藤原為家の室(阿仏尼)は有名な『十六夜日記』の著者で、子息為相の領地争いのために鎌倉幕府に訴えて東下りした時の旅姿である。市女笠に虫の垂衣(たれぎぬ)を垂れ、半足袋(前半だけの足袋)に草鞋を履き、道中の要用を入れた唐櫃をかついでいる。
静御前
源義経の愛妾で白拍子であった。のち義経が叛人として頼朝に追われ奥州に落ちた後、捕らえられ鎌倉に送られた。この時鶴岡八幡宮社前で頼朝の意を気にせず、義経を恋慕う歌舞を行ったことはあまりにも有名である。
本列では白拍子時代の姿で水干(すいかん)、単小袖(ひとこそで)、白の切袴を着け、立鳥帽子を被り鼓を持っている。童女一人が従い、絹傘を持っている。
静御前        (切取)
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