城南流鏑馬列(鎌倉時代)
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流鏑馬(やぶさめ)は平安朝以来行われた騎射の技で、馬場に三箇所の的を立て、射手が馬を馳せつつ矢つぎ早にこれを射るものである。
1221年(承久3)5月後鳥羽上皇は朝威回復を計られ、流鏑馬に託して城南宮に近畿10余国の武士1700人を召し集められ、華美を競い武具を飾って行われたと伝えられている。
本列は狩装束の射手武士を中心に5組で組織されいる。狩装束の騎馬の武士は綾藺笠(あやいがさ)を被り直垂(ひたたれ)を着け、手に弽(ゆがけ)をはめ、左手に射籠手(いごて)、腰下に鹿皮の行縢(むかばき)をうがち、物射沓(ものいぐつ)を履き箙(えびら)を負い、太刀、腰刀、鞭を佩きもち、弓、長刀を郎党に持たせた颯爽とした姿である。