平安時代婦人列
巴御前(ともえごぜん)
木曾義仲の寵愛をうけ、義仲没後尼となる。これは巴の武装を『源平盛衰記』により現したもので、天冠に鎧を着け、大刀を佩き長刀を持っている。従者は折鳥帽子に腹巻を着け、小刀を帯び弓および馬杓をもっいている。
横笛(よこぶえ)
建礼門院の雑司で、滝口時頼と恋に落ち、時頼出家後、嵯峨に彼を尋ねて行った時の市女笠に袿姿である。
常盤御前(ときわごぜん)
源頼朝の夫人で、頼朝亡き後、3児(牛若・乙若・今若)を連れて六波羅へ名乗り出た時の姿を模したものである。
清少納言(せいしょうなごん)紫式部(むらさきしきぶ)
紫式部は藤原宣孝の妻で、上東門院に仕え『源氏物語』の著者。清少納言は清原元輔の女で『枕草紙』の著者。前者は女官の略装であり、後者は正装である。
紀貫之の妻(きのつらゆきのつま)
貫之は延喜の名歌人。村上天皇の時代。清涼殿の梅が枯れ、その代わりに西京から微された梅が偶然にも枝につけてあった女の歌から貫之の庭の梅と分かったという古事に拠ったもので、当時の袿(うちき)単小袖、濃紅の切袴を着け、手に梅の小枝を持っている。
貫之
小野小町(おののこまち)
平安時代前期の女流歌人で、六歌仙・三十六歌仙の一人。出羽の国の郡司小野良貞の女で、才色兼備の女性である。
服装は平安初期の特殊な姿で、当時の神像を参照して作られたものである。
和気広虫(わけのひろむし)
和気清磨呂公の姉で法均尼と云い、慈悲心深く多くの孤児を養育し、これが孤児院の起源となったと云われいる。
服装は還俗の時の姿で、奈良朝の上衣、裙(もすそ)、帯を着け、比礼(ひれ)をかけ扇(うちわ)を持った姿である。男女各2名が従っている。
百済王 明信(くだらおうみょうしん)
従三位(女官では最高位)。百済王敬福(きょうふく)の孫。理白(りはく)の子。右大臣藤原継縄(つぐただ)の妻。
桓武朝廷の内侍所(ないしどころ)の尚侍(しょうし)(女官長)桓武天皇の信頼厚く、延暦9年の詔でも『百済王らは朕の外戚なり』と宣べられている。
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