和宮 (かずのみや) |
御祭神光明天皇の皇妹で、後に将軍家茂の御台所とられた。これは輿入れ前16歳の近世女房装束で女嬬を従えた宮廷内でのお姿を表したものです。 |
 |
|
 |
蓮月(れんげつ) |
1791年(寛政3)生まれ。和歌、文筆に優れ、のち尼となり蓮月と称し、風月を友とし才女誉高い女性であつた。85歳で世を去った。歌集「海人の刈藻」・「蓮月式部二女和歌集」などがある。これはその若き日の面影を偲ぶものである。 |
 |
玉瀾 (ぎょくらん) |
お梶の孫に当たる玉瀾は池大雅(いけのたいが)の妻で、閨秀画家として夫と共に南画をよくし、和歌にも秀でた女性である。 |
 |
中村内蔵助の妻(なかむらくらのすけのつま) |
享保の頃(吉宗の時代)、京都銀座巨万の冨を築いた内蔵助の妻で、当時妻女の衣装比べの会で抜群の誉れを得たという。「翁草」の記事により考証されたものである。 |
 |
梶(かじ) |
お梶は女流歌人で、元禄、宝永の頃に祇園に茶店を営んでいた。歌集に「梶の葉」がある。 |
 |
吉野太夫(よしのだゆう) |
江戸時代寛永の頃、京六条三筋町の名妓でのちに灰屋紹益の妻となった。これは芸妓の頃の姿である。 |
 |
出雲阿国(いずものおくに) |
出雲大社の巫女で、京都で念仏踊を演じ、歌舞伎の起源をなした。弟子を連れた扮装は京都大学、徳川家所蔵品等により考証されたものである。 |
 |