織田公上洛列 |
応仁の乱後京都は非常にさびれ、皇室も亦大いに衰微した。1568年(永禄11)9月織田信長はお召しに応じ、兵をひきいて上洛し、皇居を修理、都民を落着かせ、その復興に努めた。 本列はその織田公上洛を模したもので、立入宗継は命を受け、粟田口に織田公を出迎えた。 この時代に注目すべきこしは、戦いに鉄砲が導入されたことである。甲冑の多くは胴丸で、各部に鉄板を使った、いわゆる当世具足(とうせいぐそく)の新形式で、江戸時代にかけて用いられた。 |
織田公上洛列先頭 |
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立入宗継((たてりむねつぐ) |
正親町天皇の勅を受けて織田信長の上洛を促し、1568(永禄11)年の信長の上洛以降は朝廷と信長の間を周旋した。 |
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羽柴秀吉 |
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丹羽秀長 |
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鉄砲隊 |
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弓隊 |
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織田信長 |
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槍隊 |
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滝川一益 |
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柴田勝家 |
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