垣花城の歴史、築城年代については、記録伝承がなく不明であるが、一説にはミントン按司の二男が築城したものだといわれるものと、英祖王の長男・大成から分かれた中城屋宜按司によって築城されたグスクだという説がある。
この城址は、一の郭と二の郭からなり、垂直に近い野面積みの城壁を有している。
城内の最も高い所に立つと、太平洋を眼下に、南の低地に百名、仲村渠の各集落、北に垣花を眺望することが出来る。。二の郭には、それぞれ小面積の平場が確認され、現在では、アワダン、クロヨナ、ツゲモドキ等の熱帯樹が繁茂している。
一の郭の奥には御嶽があり「琉球国由来紀」によると神名は「アフィハナテルツカサノ御イベ」と記されている。この城址の周辺には、東には志喜屋グスク、南にミントングスク、西に玉城城跡が点在する。


                                          玉城村教育委員会
                                          沖縄県教育委員会の説明看板から
垣花城址碑
一の郭への登り口(到着した時間は午後5時45分頃で雨も降っていた)
一の郭近くの大きな岩
石垣
一の郭の城壁の石垣
一の郭の広場
アフイハナテルツカサノ御イベの神を祀る拝所

一の郭を取り囲む城壁

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垣花城をゆく
(かきのはなグスク)