加納城をゆく
本丸跡
関ヶ原の合戦に勝利した徳川家康が西に備える要衝として、本多忠勝に城を築かせた。
廃城となった岐阜城から天守などを移築し、本丸・二の丸・三の丸・厩曲輪・南曲輪(大藪曲輪)・城門・居館などを整え、関ヶ原戦後初の本格的城郭であった。
1601年(慶長6)、奥平信昌(のぶまさ)が10万石の城主としてこの地に封じられた。
信昌の妻は家康の娘亀姫である。
その後城主は、大久保氏・戸田氏・安藤氏と変遷し、1756年(宝暦6)永井氏が入封してから6代続き明治維新を迎えた。明治2年加納城第16代城主、永井肥前守尚服(なおこと)が版籍を奉還し加納藩は同年7月14日に廃藩に至った。。
現在本丸跡を中心に加納公園となっており、市民の憩いの場として親しまれている。
門跡や石垣が残っている。
当時を偲ぶ石垣群と本丸跡
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