上牧町内の下牧地区から金富地区へ抜ける峠道のいただき部分に中世の山城と伝えられる片岡城の跡があります。
片岡城は「片岡系図」によりますと16世紀の初頭片岡国春によって築かれたとされています。下牧に片岡城を築く以前の片岡国春の本城は送迎山城といわれ、隣町の香芝市今泉の西方約2キロメートルのところで、明神山の南側、標高262メートルのところにありました。 
 この頃の葛城地方には片岡氏に続いて南の方へ順に岡・万歳・布施・倶志羅・楢原・吐田の六人が勢力を伸ばし、倶志羅氏以外の五氏はいずれも、山城を築いており、片岡国春の送迎山城も地理的によく似たところにあります。
片岡国春が新たに上牧町内に築いた片岡城は高さ8メートルの丘城で、他の山城とは地形的に異なり、要害性には劣りますが、片岡谷を見下ろす位置にあり、政治・経済の中枢としての機能は送迎山城より優れていたと考えられます。
 片岡城は葛下川を望む第二中学校から香滝へと続く丘陵の先端近くに築かれた山城です。
 葛下川からみますと48メートルの高さにすぎませんが、急な崖で迫り、当時の山すそを流れていた葛城川がたびたび氾濫を繰り返し、あたり一面は湿地帯になっていました。また城の東麓にも滝川が流れ、それが城の北側で葛下川と合流、三方を自然の水濠で囲まれた、この近辺では屈指の要害に適した地形になっていました。
片岡城のあった丘陵全景
空堀跡
本丸跡へ登る道
空堀跡
本丸付近から見た空堀跡
丘陵山頂にある本丸跡(今は畑になっている)

片岡城をゆく

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