米須城をゆく (こめすグスク) |
米須グスクは、13世紀〜15世紀頃、三山鼎立(ていりつ)時代、南山グスクの出城として米須按司によって築いたとされ、グスク時代に栄えたグスクです。 市内にあるグスクの中でも比較的保存状態が良いグスクです。高さ3m・幅1.5m〜2mの野面積み石垣がめぐらされています。 城は二つの郭からなっており、上にある主郭(一の郭)には家屋跡の石列や井戸跡、拝所などが残っていおり、当時を偲ばせます。一の郭から米須小学校方面が下が、二の郭になっている。 一の郭の城門は南に向いて開き、二の郭の城門は西に向いて開いている。この二つの城門は側面からの防御を考えた構造になっており、沖縄でもあまり例がない。 このグスクには次のような伝承が伝わっています。 米須按司の夫人は絶世の美女として有名であった。按司の家来の我瀬之子(がせのし)は、奥方の美しさにほれ、按司を船遊びに誘い出して殺してしまった。悲しんだ奥方は、グスクを出て塩売りをしていたが、我瀬之子に見つけられ、自分の嫁になるようしつこく言ったので、主人を殺したのが我瀬之子であることを悟り、仇を討つことにした。 「あなたの腕で一抱えする柱で家を造ってくれたら嫁になります」我瀬之子がやっとのことで木を探し出し、「この木はどうか」と腕を回しているスキに隠し持ったクギを両腕に打ち込み奥方は仇討ちを成し遂げたと云う。 糸満市教育委員会の説明看板から |