平和公園の裏側から「黎明の塔」へ登る階段
平和公園の一角
平和公園内の展望台
「黎明の塔」慰霊碑(書体は吉田茂元総理大臣著)
摩文仁の丘の先端(3角点)
「黎明の塔」からの眺望
「黎明の塔」からの眺望
風力発電の風車が珍しい
平和公園の塔
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摩文仁城をゆく
(まぶにグスク)
摩文仁グスクは、沖縄県平和祈念公園の中の「黎明の塔」付近にあるそうです。このグスク付近は、沖縄での地上戦が最も激しかったところで、その遺構はほとんど残っていなく、「黎明の塔」と「鹿児島の塔」の裏あたりに少しだけ石垣を見ることが出来るとのことですが生憎と確認することは出来ませんでした。
 1853年、アメリカのペリー提督率いる艦隊が那覇港に停泊した時、尚泰王はまだ11歳であったため、王の代理として摩文仁按司が交渉にあたったと言われてる事から、グスクにはおそらく摩文仁按司が存在していたと思われる。