松坂城をゆく
1588年(天正16)、松ヶ島城に入った蒲生氏郷は、城が狭く海岸に近すぎるので古城砦のあった四五百森(宵の森)に大規模な要害城を築いた。
このときに、3層の天守も建てられたという。
そして吉祥の「松」の字と、豊臣秀吉の居城大坂城の「坂」を賜って「松坂城」と名づけた。松坂の名前は、明治時代になつて「松阪」と改称されている。
氏郷は2年後、会津へ移り、その跡へ服部一忠が入封した。
1595年(文禄4)、一忠は関白秀次事件に連座して改易され、次いで古田重勝が入封した。
1619年(元和5)以後は、紀州藩領となり、城代が置かれた。
そして、1644年(正保1)、大風のために天守が倒壊してしまう。
現在は、松阪公園となり、天守台や本丸・二の丸に石垣が残る。
松坂城址石碑

 
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