1573年(天正1)、浅井氏の旧領を与えられた秀吉は、翌年、京極氏家臣上坂氏の今浜城があった琵琶湖畔で築城にとりかかった。
秀吉は1575年(天正3)に小谷城から長浜城に移り、7年間在城した。小谷から城下町も移し、地名を今浜から長浜に改めた。
1583年(天正11)4月の賤ヶ岳の戦いには、ここを拠点として大勝し、威名を天下にとどろかせた。
秀吉以降は、柴田勝家に譲られ、その甥勝豊が入城したが、1585年(天正13)から5年間山内一豊が在城、江戸幕府成立後1606年(慶長11)から内藤信成が城主となる。信成の子信正が摂津高槻に移ると、湖北支配の使命を彦根城に譲り、1615年(元和1)に廃城となった。石垣、建物の一部は彦根城などに運ばれ、彦根城天秤櫓(重文)は長浜城の遺構といわれている。
現在の天守は1983年(昭和58)に復興され、歴史博物館として資料を展示している。
長浜城をゆく
長浜城は、古くは今浜城といい、南北朝時代、足利尊氏の重臣で「バサラ大名」として有名な京極道誉の家臣今浜六郎左衛門が創築し、その後上坂(こうざか)氏が守将として在城した。

滋賀県のお城へ