名護中央公園にある「名護城の由来」碑
名護中央公園案内看板
中央公園から神殿・城址までの参道(約620段ある)
昭和3年神殿と拝殿の改築を記念して、城青年団が参道添いに桜を植えた。この桜は緋寒桜で1月の下旬に美しく開花する。今では日本一早い桜の名所として全国に知れ渡り、この由緒ある名護城で、昭和37年以降毎年1月に華やかな桜まつりが催されている。
参道に沿って咲く緋寒桜
緋寒桜
参道の登り詰めたところにある神殿
城址への道
古木の根元にある拝所
拝所(地元の方だけの拝所)
城址広場への階段
城址の広場(昔は城郭があつたのか?)
空堀跡
広場から眺める名護市内風景
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名護城をゆく
(なんグスク)
名護城は、名護人発祥の地である。14世紀の始めごろ、北山(今帰仁城)統の名護按司(領主)は、今帰仁から分かれてこの山上に城を構え、周辺の丘陵には按司の統治する領民が住んでい。
それから約200年の後、尚真三の中央集権によって、名護按司とその一統が首里へ引き上げたので、残された住民は思い思いに平地へ移住した。
名護人はそれ以来この地に氏神を祭って尊崇し今日に至る。
城の位置は名護市街地東側の標高100mの丘陵にあり、名護中央公園として整備されている。
沖縄では珍しく石積み等(石塁・城壁)が見られないグスクである。また、掘り切り(空掘り)からして、土塁のグスクであったと思われる。