戦国時代に駿河今川氏が、この地名護野に築城したのに始まり、その後織田信秀によって奪取された。信秀の嫡男信長は、ここで成長している。
関ヶ原合戦を制した徳川家康は、1609年(慶長14)「(名古屋に城を)築かば日本半国の勢いを以って責るとも落べからず」と旧城跡を拡大しての築城を命じた。
牧助右衛門が検地縄張りあたり、翌年加藤清正を始めとする西国の諸大名20家が到着して築城にかかわった。
江戸城・駿府城などにつづく家康による「天下普請」(てんかぶしん)とよばれる一連の築城工事の一環である。
1615年(元和1)、徳川家直が本丸に入り翌年に二の丸御殿の完成をみた。
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