名古屋城をゆく
撮影   2004.06.13
戦国時代に駿河今川氏が、この地名護野に築城したのに始まり、その後織田信秀によって奪取された。信秀の嫡男信長は、ここで成長している。
関ヶ原合戦を制した徳川家康は、1609年(慶長14)「(名古屋に城を)築かば日本半国の勢いを以って責るとも落べからず」と旧城跡を拡大しての築城を命じた。
牧助右衛門が検地縄張りあたり、翌年加藤清正を始めとする西国の諸大名20家が到着して築城にかかわった。
江戸城・駿府城などにつづく家康による「天下普請」(てんかぶしん)とよばれる一連の築城工事の一環である。
1615年(元和1)、徳川家直が本丸に入り翌年に二の丸御殿の完成をみた。
 
 第2次大戦前前まではほぼ全容を残していたが、1945年(昭和20)の空襲で多くを焼失した。
焼失を免れた西南隅櫓・東南隅櫓・西北隅櫓・表二之門・旧二之丸東二之門・二之丸大手二之門
また、本丸御殿を飾った襖絵「竹林豹虎図」「四季花鳥図」、杉戸絵「花車図」など1047面が重要文化財に指定されている。
また、 名古屋城は特別史跡に指定されている。
1959年(昭和34)大天守と小天守が再建された。
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