世界遺産登録「今帰仁城」碑
今帰仁城址碑
平郎門
今帰仁城の本門で、現在の門は昭和37年に修復されたものです。門の両脇には狭間があり、門番が見張りをするところです。
狭間の内から眺める
平郎門を潜って右の階段を上がると物見台がある。
平郎門の石垣と緋寒桜
外郭から見た大隅(北側)の城壁(緩やかなカーブを描く美しい見事な城壁です)
平郎門の上から七五三の階段を見る
戦後、戦災文化財の修理として階段にしたもので、本来の虎口通路ではないそうです。
平郎門から眺める東側の大隈城壁
大庭(主郭へ通じる)
主郭(礎石が残っている)
主郭中央部分(俗に言う本丸跡)
主郭(館の礎石)
主郭の「火神の祠」と「山北今帰仁城監守来歴碑記」
主郭から見た志慶真門郭(しじまじょうかく)
主郭から見た西側の志慶真門郭(しじまじょうかく)
御内原(うーちばる)の内部  
御内原は今帰仁城に仕えた女官達の生活の場であったと伝えられる。
東から見た大隅(うーしみ)北側城壁
東から見た大隅西側城壁
曲線を描く 大隅(うーしみ) の城壁
戦時に備え馬を養い、兵馬を訓練した場所として伝えられている。最も高い石垣が築かれた堅牢な城郭です。
志慶真門郭から主郭南東側城壁を見る
志慶真門郭から主郭南東側城壁を見る
城壁の石垣
城壁の石垣
志慶真門郭跡
志慶真門郭跡
志慶真門郭跡から主郭城壁を眺める
大隈の北西の城壁
大隈の西側城壁
大隈城壁
発掘調査中の平郎門左側の大隈
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今帰仁城をゆく
(なきじんグスク)
今帰仁城(別名北山城)は、いつ誰によつて築かれたかは不明なところが多く定かではありませんが、発掘調査の成果から13世紀頃には城造りをはじめた事が分かっています。
14世紀頃沖縄本島は北部地域を北山、中部地域を中山、南部地域を南山がそれぞれ支配した「三山鼎立時代でした。
北山王は沖縄島の北部を中心に支配下とし、中国と貿易をしていました。しかし1416年(1422年説もある)に中山の尚巴志(しょうはし)によって滅ぼされ、北山としての歴史の幕を閉じることになります。
北山敗北後、中山は北部地域の管理として監守を設置し、1422年以降監守の居城としてグスクを利用します。
しかし、1609年に薩摩軍による琉球侵攻にあい、城は炎上しました。監守が住まわなくなって以後は御嶽として精神的拠り所として広く県内から参拝者が訪れています。
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