南山城は琉球三山分立時代「北山」(ほくざん)・「中山」(ちゅうざん)・「南山」(なんざん)(14世紀頃)に栄えた南山王のグスクです。
南山は明国と交易を盛んに行い、財源を得たり、明文化を移入したりして城を中心に南山文化を築いていました。
15世紀になって中山(ちゅうざん)の尚巴志王(しょうはし)に滅ぼされるまでの朝貢回数は22回を数えます。
南山王は承察渡(しょうさつと)(ウフサト=大里)の名で中国進貢(しんこう)をおこなった。按司(あじ)たちの抗争が絶えず、大里村の大里城(島添大里)が一時、南山王の居城だったともいう。他魯毎王(たろうまい)の時、中山の尚巴志王に滅ぼされ、ここに琉球統一となる。

1984年(昭和59)、発掘調査が市教育委員会によって行われ、中国製陶磁器やグスク系土器の他、備前焼きスリ鉢、鉄鏃(てつぞく)、ガラス製勾玉(まがりたま)等が出土しています。これらの遺物から南山城は13世紀頃に築かれ、14世紀〜15世紀前半が特に栄えていたことが分かりました。南山の東方には水量豊な「カデシガー」北方には源頼朝と王の妹との逢引場所だと伝わる「和解森」(わだきなー)があります。
南山城址碑
南山城入口の階段
城壁の石垣
現在、糸満市立高嶺小学校の一角に石積み遺構と復元された石垣がわずかに残っています
復元された城壁の石垣
南山神社の鳥居
南山神社本殿
拝所
拝所の近くにあるデイゴの巨木
拝所
主郭への階段
門跡
南山神社の鳥居
鳥居の近くに咲いている緋寒桜が満開でした
水飲み場か?
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南山城をゆく
(なんざんグスク)