赤尾屋敷跡にある浅井長政自刀跡碑
1573年(天正1)9月1日、信長の投降の呼びかけを拒んだ長政は、妻お市を信長の元に送りとどけ、茶々ら3姉妹を浅井家菩提寺へかくまわせたあと、本丸下の赤尾屋敷へ籠り、自刀し29歳の生涯を閉じた。小谷城一の聖地となっている。
赤尾屋敷に通じる山道(桜馬場から約100m程先に屋敷跡ががある)
桜馬場跡
桜馬場の浅井家供養塔
馬洗池から70mほど上がると桜馬場があり、浅井家と家臣の供養塔が立つ。
黒金門跡
桜馬場の供養塔の右側の石段が城の城郭を守る黒金門跡で、通り抜けると大広間に跡に出る。
大広間跡
一名千畳敷という。約35アール(約1、060坪)の広さである。主殿の跡と推定されており、その昔多くの武将達が会堂したであろうと想像される。礎石、貨銭、陶器片等多数発掘されている。
本丸跡
本丸跡は、御殿跡とみられる礎石が発見された大広間の最奥にある。崩れた石垣が残る一段高いところが、「鐘丸(かねがまる)」とも呼ばれていた本丸で、櫓があったところである。浅井長政が織田軍に最後の抗戦をした本丸跡は今は桜の名所になっている。
本丸の石垣跡
鐘の丸ともいう。石垣をめぐらした約12mの高所に約30mに25mの広さをもつ。落城寸前まで城主長政が居住していた処である。彦根城西の丸の三重櫓は元小谷城天主と伝えられている。
往時を偲ばせる本丸の石垣
お局屋敷跡
中の丸
空堀跡(大堀切)
小谷城をゆく
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