刀洗池跡
京極丸跡
1524年(大永4)亮政が主君京極高清・高延父子を迎えた処である。1573年(天正1)8月27日夜半この曲輪の清水谷側大野木屋敷を経て侵入してきた秀吉の軍勢によって占拠され、小丸の久政と本丸長政との連絡を絶たれた。
小丸跡
2代目城主久政の隠居後の居所である。1573年(天正1)8月27日信長の先鋒秀吉軍の進撃を受け鶴松太夫の介錯により49歳を一期としてここに切腹して果てたのでのある。
山王丸跡
山王丸は主郭の連郭中、一番高い標高395mにある。山王権現(現在の小谷神社)を祀ったところから名がついた。
山王丸下の大石垣跡
山王丸の東・南・西側には、往時の石垣が残っており、とくに東面の野づら積みの石垣は城址の中でももっとも雄大である。
大広間跡から浅井町と伊吹山を望む
桜馬場から琵琶湖竹生島を望む
小谷山麓の桜
小谷城をゆく
滋賀県のお城へ 姉川堤の桜