1500年(明応9)に竹腰尚綱によって築城されたとされている。織田氏、斎藤氏と支配権が移った後、1583年(天正11年)に豊臣秀吉の家臣、池田恒興が城主となる。その後1596年(慶長元年)に伊藤祐盛が天守を造営した。その際に旅の山伏を人柱とした。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの際には石田三成が入城し、合戦に備えた。その後東軍により落城。。
明治に入っても破却を免れ、1936年(昭和11年)に天守等が国宝に指定されたが、1945年(昭和20年)7月29日の空襲により天守が焼失した。現在の天守は1959年(昭和34年)に再建されたものである
撮影日 | 2008.04.12 |