大坂城をゆく
大坂城にはかって石山本願寺の堅塁と寺内町があった。
石山本願寺は、8世蓮如上人が、この地に坊舎を営んだのに始まる。
その後、本願寺は本山を京都・山科からここに移して城塞化し、勢威をふるうが、その堅城に着目し、譲渡を迫った織田信長との間に、11年間にわたる石山戦争が起こる。朝廷の仲介により本願寺は紀伊国鷺森に移転したが、退去に際し火を発し、石山本願寺は全焼した。
石山を手中にした信長は大坂城築城を思いたったであろうが、2年後の1582年(天正10)6月、本能寺の変により自刃した。
1583年(天正11)に豊臣秀吉が築城に取り掛かり「天下無双の巨城」を完成させた。
本丸・二の丸・三の丸に内堀・外堀・外周には総構(惣構)の日本最大の城郭だつた。秀吉没後、大坂夏の陣で落城、淀殿・秀頼は自刃、豊臣家は滅亡した。
徳川幕府は、太閤の城を、土塁と巨大な石垣で地下に埋め込み、1629年(寛永6)まで10年かけて大坂城を再建するも、1665年(寛文5)の落雷で再建天守は焼失した。
3代目に当たる現在の天守は、1931年(昭和6)、大阪市民の寄付金により秀吉時代の天守を復興し、平成に大修復した。
大阪城天守閣
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