大坂城をゆく
大坂城天守の石垣
これらの巨石は、豊臣秀吉が大阪城を創建した当時のものではなく、大阪城が落城後、徳川幕府が1629年(寛永6)に再建したときのものである。
大阪城の石垣は、地上に見えている部分だけで、50万個以上の石が使用されているという。
城内最大の石は、桜門枡形の「蛸石」・京橋門枡形の「肥後石」・「大手見付石」・振袖石」・「京橋二番石」・「虎石」・「碁盤石」・竜石」等推定50トン以上の巨石がある。
桜門枡形の巨石
本丸の正門を守る重要な枡形で、特に立派な巨石が用いられている。
桜門枡形にも大手口と同様、多門櫓があつたが、1868年(明治元年)の城中大火の際焼失してしまつた。
この枡形の地死蔵は1624年(寛永元年)岡山藩主池田忠雄(姫路のいけた輝政の三男)が担当したもので、備前(岡山県)産の良質花崗岩が用いられている。
正面の石は蛸石と呼ばれる城内第1位の巨石で、およそ36畳敷(60u)推定重量130tもあり、左側のは振袖石といい、およそ33畳敷(54u)120tで城内第3位の巨石である。
蛸石
岡山藩池田忠雄が築いた巨石で、備前犬島産の石。
巨石ベストテンのうち7つまでが池田忠雄によるものである。
大手門枡形の巨石
大手門枡形は、大坂城の正面の防御施設として、特に立派な石垣で築かれている。大手門正面の見付石は表面積およそ29畳敷(48u)、推定重量108tもあり城内第4位の巨石である。
また、左手の巨石はおよそ23畳敷(38u)、85tで第5位にあたる。
これらの巨石はいずれも、豊臣時代のものではなく、徳川時代の大坂城再築の時に、瀬戸内海の島々から運ばれてきたものである。
担当大名は、最初は熊本藩主加藤忠広でのちに久留米藩主有馬豊氏が築き直した。
京橋門枡形の巨石肥後石
京橋門枡形にあり、城内第2位の巨石。
小豆島の産で、池田忠雄によって担われた。
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