天守と高欄櫓
2004年(平成16)9月(、大洲城は古式の技法によつて木造天守が再建された。
この復元天守は4層4階づくりで、高欄櫓と台所櫓を多聞櫓で結んだ複合連結式天守である。
現存する高欄櫓と台所櫓は小天守にあたる。松本城・広島城と同じく小天守2基を多聞櫓でカギの手状に結んでおり高欄櫓は、廻縁を伴い唐破風が飾られる本格的な天守づくりである。台所櫓は、籠城時に本丸と天守に楯籠もる城主とその一族、将兵達の兵糧を賄う調理場となる建物である。
天守閣 (見事に復元された4層4階の天守)
千鳥破風を初層と2層で数を違えて変化をもたせ、3層の唐破風が重厚にのしかかっている。通常最上階に付いている花頭窓(かとうまど)が、2階にひらかれているのは珍しい。戦後復元の木造天守では日本一の高さを誇る。
高欄櫓
2層2階の高欄櫓は、本来望楼の意味で天守最上階に付けられる。大洲城の高欄櫓は、2面に高欄が付設されている。安政の地震で大破したが、1860年(万延1)に再建された。天守復元にともなって、台所櫓とともに化粧直しをされた。
台所櫓
         苧綿櫓(おわたやぐら)                      三の丸南隅櫓
門番長屋跡
この建物は、曲輪内の仕切り塀の門に付属する長屋である。名前の通り門番が詰めていた建物で、外観は絵図をもとに再建されたものです。
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