松平城をゆく
松平郷の開拓領主は公家の在原信盛と言い、弘安年間(1278〜1288年)に入郷し、現松平東照宮境内に館を構えたと伝えられています。

 信盛の子信重は、娘婿に、この地を訪れた「徳阿弥」という時宗の旅の僧を迎えた。この僧が松平(太郎左衛門)親氏と称し、松平氏宗家初代となった。徳川家康を始めとする徳川将軍家の始祖である。

 松平城は、この松平氏宗家初代の親氏の勢力拡大の過程において、応永年間(1394〜1428年)、親氏によって松平館の詰の城として築かれた。

 親氏は弟(一説には子とも言う)泰親とともに勢力拡大を図り、松平氏宗家の跡を継いだ3代信光は、三河平野部に進出し、岩津城(岡崎市岩津町)に居城を移し、松平郷の太郎左衛門家は初代親氏の庶長子信広が相続した。

 この松平郷の松平家は、3代目で、後の将軍家に連なる信光と、太郎左衛門家に続く信広の2家に分かれるが、松平郷の松平家は、代々太郎左衛門を名乗り、宗家に従って参陣して功績を挙げた。  以後、太郎左衛門家は松平郷を離れることなく、江戸時代を通じて幕府より「御称号の旧地」を守る役目として、参勤交代の許された旗本交代寄合として列せられ、この松平郷の松平太郎左衛門家は、15代続いて明治に至った。

 松平城は、文禄年間(1592〜1596年)に破却されたと言われているが、明らかではない。

駐車場にある松平遺跡の案内図
駐車場から松平城址への登り口
登り入口にある城址碑
縄張案内図 (現地案内板より)
城址への登り口
曲輪2から主郭への階段
主郭にある松平城址碑
主郭跡
曲輪2の跡
曲輪3の跡
曲輪4の跡
曲輪4にある社
郭台跡
井戸跡
夕闇迫る松平城のある城山
お城めぐりへ 日本地図へ 愛知県のお城へ 次へ