田原城をゆく
田原城は戸田宗光が1480年(文明12)に築城した。
当初は本丸に城館を置き、二の丸との境に空掘を掘った程度であったと推測される。戸田氏は碧海郡上野庄の出身で、応任の乱の頃、二河湾の制海権を握り、1475(文明7)渥美郡大津へ居を移した。
さらに1480年(文明12)田原に進出し田原城を築いた。その後、半島の統一を行い二連木・今橋に進出したが、牧野氏との争いに敗れ、1529年(享禄2)には松平清康の攻撃にあい、戸田宗光は和睦した。
1547年(天文16)には松平広忠の竹千代(のちの家康)が人質として今川方に送られる途中、宗光が奪って織田方に渡したことから、今川義元は田原城を攻め田原戸田氏は減亡した。
しばらく今川氏の城代が支配したが、1560年(永禄3)桶狭間の戦いの後、松平家康が吉田城・田原城を平定した。1590年(天正18)田原城は吉田城主池田輝政軍の支配となり、家老伊木清兵衛によって石垣が築かれたが天守閣は存在しなかった。
輝政転封の後、戸田家の支族戸田尊次が伊豆下田から一万石で田原に入城、さらに1664年(寛文4)三宅康勝が三河挙母から一万二干石で入封、以後明治まで続いた。
撮影 2007.08.24
復元二の丸櫓
本丸に天守閣はなく、二の丸櫓が天守閣に代わって城のシンボルの役目を果たしていた。
田原城周辺案内看板
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