この山城は、南・北2つの峰に別れていて、北の方が60Mほど低いが北城の方が大規模である。南北両城を合わせると、大和随一の中世城郭である。2ヵ所に別れながら、互いに呼応しあって1つの城を形づくっているのを別城一郭の構えという。北城(城台)は、標高521.7Mの郭を中心に、太鼓ノ丸、辰巳ノ櫓、時ノ丸、五人衆ノ郭、茶屋ノ屋敷、西ノ大手ノ丸などの郭が幾重にも重なり、土居や堀割、井戸、それに「馬ヒヤシ」と称する水溜などもあって、中世城郭としての原型をよくとどめている。南北朝の頃、小さな砦をつくられたのがはじめで、天文年間(16世紀始)、十市遠忠が小さな砦をもとに一大城郭を築いた。遠忠は大和武士として知られたのみならず、歌人として、とくにすぐれていた。その子遠勝の時、永禄11年(1568)7月末ほとんど抵抗することもできずに、龍王山城を明け渡して十市平城へ退いてしまい華華しい籠城戦も行いえず、秋山氏の手に渡してしまったようである。大和一の名城の龍王山城50年の歴史は終った。いまも落城にまつわる幾多の悲しい物語りを伝えている。(現地案内板より)
龍王山城をゆく
撮影 2007.04.26
竜王山城址碑
龍王山城北城略図
北城城址への登り口
土塁跡
南虎口跡
南虎口を上から眺める
空堀跡
急な階段を上ると北城本丸へ出る
北城本丸跡の広場
本丸東側の土塁
竪堀群(今は木立と雑草に覆われはっきりとは見えない)
本丸の下にある「時の丸」跡
時の丸から本丸を見上げる
馬池
土橋
土橋の頂き
空堀跡
龍王寺南城址跡看板
南城址への登り口
南城址へ続く階段(虎口)
空堀跡
本丸の土塁跡
本丸石垣
本丸への石段
本丸跡
本丸跡(龍王山山頂にある二等三角点)
本丸跡
頂上から天理市内を眺める(春霞でよく見えなかった)
龍王山遠景(長岳寺から眺める)(正面の屋根が長岳寺)
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