瀬長城をゆく (せながグスク) |
瀬長グスクは、瀬長按司の居城であったといわれている。 アマミキヨの子孫が按司時代になって始めて小規模のグスクを築いたとされるのが瀬長グスクである。 その後、承察度の時代にグスクを増築させ、海からの攻撃に対する防禦と貿易を対象としたグスクだったと推される。 さらには、南山王の三男が瀬長按司となって、瀬長グスクを居城として豊見城グスクや長嶺グスクとともに、中山に対しての出城の役割を果たしていたが、南山滅亡とともに中山に落ち、南山系の瀬長按司も滅んだとされる。 |