下赤坂城をゆく

下赤坂城は、千早赤阪村立中学校周辺にあります。標高185.7m、比高61.4m。金剛山地から延びる丘陵の自然地形を利用して築城された中世山城です。
元弘元年(1331)、正成は後醍醐天皇を迎える予定で下赤坂城を築城。 鎌倉幕府に対して、この城で蜂起しました。9月28日に笠置城は落城。後醍醐天皇は捕らえられましたが、 護良親王は赤坂城へ逃れました。このため、赤坂城は鎌倉勢の攻撃の的になります。
このときのさまざまな奇策を使った、鎌倉勢との戦いは有名です。戦いの様子は、『太平記』に細かく描かれています。
しかし、兵糧責めのすえ、正成は10月21日夜に火を放って金剛山に逃げました。 その後、正慶元年(1332)4月に夜襲をかけ奪回しています。
本丸の場所については、史跡指定以前から問題になっています。中学校の上と役場の上の2ヶ所が候補です。 役場裏、の下にある急斜面の発掘では、鎌倉時代末から南北朝時代にかけての瓦器・土師器や焼けた壁土が出土しています。 これらから、本丸の施設かどうかは判りませんが、何らかの建物が存在していたことが判っています。 地名には「甲取坂」、「一の木戸」など謂れのある名称が残っています。
昭和9年に国史跡に指定されています
赤坂村立中学校の入口にある城址跡への案内碑
中学校の裏側に整備された下赤坂城址碑
城址碑
下赤坂の棚田
千早赤村内のいたるところで見られる棚田は、鎌倉時代頃から続いているといわれています。下赤坂の棚田は、平成11年7月に農林水産省により「日本の棚田100選」に認定されました。周辺には、1331年に楠木正成が後醍醐天皇に拝諸して築いた山城である「下赤坂城」があり、歴史的な風景と調和した棚田を眺めることが出来ます。訪れた時は丁度水を引き込み田植えが終わったところで美しい風景であった。
BACK