飛鳥寺伽藍配置復元図
創建時の飛鳥寺は,塔を中心に東・西・北の三方に金堂を配し,その外側に回廊をめぐらした伽藍配置だった。 寺域は東西約200m,南北約300mあった。百済から多くの技術者がよばれ,瓦の製作をはじめ,仏堂や塔の建設に関わった。瓦を製作した集団は,この後豊浦寺や斑鳩寺の造営にも関わっていく。さらに,これらの技術を身につけた人たちやその弟子たちが全国に広がり,各地の寺院造営に関わるようになる。
飛鳥寺門
飛鳥寺本堂
本尊飛鳥大仏(釈迦如来像)(銅像 飛鳥時代)
推古天皇13年(605)、天皇が聖徳太子や蘇我馬子及び各皇子と誓いを立てて発願し、609年鞍作鳥(止利仏師)によって造られた日本最古の仏像である。
高さは約3mで当時銅15トン、黄金30kgを用いて造られた。平安・鎌倉時代の大火災で全身罹災、後補を受ける。しかし概形には飛鳥彫刻らしい形をとどめ、細部にもかなりはつきりした飛鳥の特色を伝えている。
阿弥陀如来坐像  (木造、藤原時代)
堂々とした量感、写実的に表現は藤原時代の特色をよく伝えててる。
聖徳太子孝養像 (木造 室町時代)
聖徳太子16歳のとき、父用命天皇のご病気回復を祈願されている姿である。
思惟殿
鐘楼  (写真をクリックすると説明看板を見る事ができます)
飛鳥寺形石燈籠 (南北時代)
「日本の燈籠」に選ばれている極めて清楚な形で、完全に保存されている。裏面に「飛鳥寺」の刻銘がある。
宝篋印塔 (室町時代)
道標
本堂の裏庭にまとまって配置されています。
菩提樹
万葉歌碑
境内には昭和12年辰己利文氏を願主として万葉歌詞碑を建立された。
塔心礎位置(地下3m)
593年(推古天皇元年)1月15日舎利を心礎に納める。翌日心柱を心礎の上に建てる。596年(推古天皇4)塔が完成する。
飛鳥池(周囲には万葉歌碑が建てられている)
蘇我入鹿の首塚
飛鳥寺は、大化の改新を起こした中大兄皇子と中臣鎌足が蹴鞠会で最初出会ったと伝えられています。蘇我入鹿を天皇の前で暗殺して大化の改新となるわけです。蘇我氏のお寺ということもあってお寺のすぐ横に、入鹿の首塚があります。当時は蘇我氏の立派なお屋敷が多くあったそうですが、現在は田んぼの中にあります。。
西門跡
飛鳥寺の遠景
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所在地 奈良県高市郡明日香村飛鳥
開基 曾我馬子
宗派 真言宗豊山派
本尊 釈迦如来(飛鳥大仏)
撮影 2007.09.26