参道の入口にある「正暦寺」石碑
福寿院山門
福寿院客殿(国重文)は、1681年(延宝9)の建築で、狩野永納が描いた富嶽の襖絵がある。
福寿院玄関
福寿院内にある護摩堂
福寿院外壁
 菩提仙川は、その昔、中尾川ともいわれ、この清流を使って醸造された「菩提泉酒(奈良酒・南樽)」は、至極上酒であったことが「蔭涼軒日録(おんりょうけんにちろく)」に記されており、日本清酒発祥の地としても有名です。
本堂への階段横にある鐘楼
鐘  楼
本  堂
本堂横にある碑
本堂石段の下に石仏、石塔群があり、両側には鎌倉時代の十三重塔と宝篋印塔がある。
東側の十三重塔
本堂下にある僧侶の供養塔・墓石群
十三重塔・供養塔・墓石群の全景
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正暦寺
撮影 2007.11.19

しようりゃくじ

正暦寺(しょうりゃくじ)は、奈良市菩提山町(ぼだいせんちょう)にある寺院。菩提山龍華寿院と号し、奈良と天理の間の山あいに位置する。菩提山真言宗の本山(単立寺院)。「錦の里」と呼ばれ、紅葉の名所として知られる。また、境内を流れる菩提仙川の清流の清水を用いて、初めて清酒が醸造されたという伝承があり、「日本清酒発祥之地」の碑が建つ。

正暦3年(992年)、一条天皇の発願により、関白藤原兼家の子兼俊僧正が創建した。往時には、報恩院以下86坊の堂塔伽藍が建ち並ぶ大寺院であったが、治承4年(1180年)に、平重衡による南都焼き討ちによって焼失した。建保6年(1218年)、興福寺別当の信円僧正が法相宗の学問所として再興し、興福寺の別院正願院門跡となった。金堂、弥勒堂、講堂、十三重宝塔、経蔵、御影堂、鐘楼、六所社および別院などが整備された。また、報恩院家が開山の兼俊僧正の別院として寺務を管轄し、安養院と別院仰接院は浄土宗の念仏道場となった。